ものまねこざる
僕の小さいころ、Curious Georgeは「ものまねこざる」という邦題だった(現在は、「おさるのジョージ」)。でも、サルはどうでも良くて、Ken2の真似をして、ちょっと気に入った(いった/はいってきた)本の一部を取り上げてみるテスト。
「映画の世界ほど新しい実験の困難なところはなく、実験のないところに新しい伝統の生まれてくる道理がないとするならば、われわれは古い主題の巧妙なヴァリエイション、古い枠の中でのテクニックの高度の洗練、といったものに眩惑され、同化されないために、常に「これは本当に映画だろうか」という問いを心の中に持ち続けることが必要であると思われる」(伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』文藝春秋社、1965年。)
映画に限らない話であり、また今更なことではあるものの、僕は今更ハッとしたのであった。
ここからはおまけ。で、しかも長い。
「ロンドンからベルギー、フランス、スイス、オーストリアを経てイタリーに入り、イタリーを一ト月余り旅行して、今パリに帰っています。
この間走った距離は約一万キロ、東京から太平洋を横断してサン・フランシスコにいたる距離ですが、この間、穴ぼこが一つも無いのです。
少ない、とか、あまり見当らないとかではなく、一つもない、ということになると、これはちょっと問題だと思われます。そこには、少なくとも、道に対する考え方の根本的な違い、つまり穴ぼこのある道は、道とはいえない、穴ぼこを放っておくとうな政治は政治とはいえない、という態度がうかがえるからです。
同じ常識とはいえ、穴ぼこのある道は、道とはいえない、という常識と、穴ぼこのあるのがあたりまえ、という常識とは何という違いでしょう。おそらく、この差は三十年、五十年というような小さな差ではないと思うのです。
いくら日本が貧乏だからといっても、道を造れないほど貧乏なわけはありません。予算がない、計画性がない、技術者の不足、お役所仕事などといってみるより先に、煎じつめればわれわれの無関心が悪い道を造っているのだ、という事実を再認識すべきではないでしょうか。」(同書)
伊丹がこの文章を書いた、あるいはヨーロッパを旅行したのが1960年代前半。もう50年近く前です。海外に行き、こうした思いを抱くインドネシア人は現在どれだけいるのでしょうか?伊丹の文章が道路行政になんらかの影響を持ったとは思いませんけれどもね。先述の文章とは別の意味でハッとしたのでした。
(ところで伊丹の死は本当に自殺だったの?)