930 or 101
今日は9月30日でした。42年前の、今から数時間後に所謂9月30日運動(Gerakan September Tiga Puluh,GESTAPU)が始まりました。事の真相は、確定されていませんが、インドネシア共産党のクーデタ説(スハルト体制での公式史観)、CIAの陰謀説、スハルトの陰謀説、陸軍内での権力闘争説など、種々様々な説があります。現在でも、「誰がこの運動のマスターマインドか?」という話題は折に触れ、時にはスキャンダラスに語られています。ゲスタプという略語は、もちろんナチのゲシュタポを想起するように、この運動を鎮圧した側が無理して作ったものです。(9月30日なら、30 September とするべきですし、単語の頭からではない文字を使ったりしています。)そのため、これに抵抗する人々は、運動が起きたのが10月1日未明であるから、Gerakan Satu Oktober (Gestok)という呼称を用いたりします。
もちろん、この運動ないし事件の真相を探ること自体にも意味はありますが、忘れてはならない、しかもインドネシア国民が忘れてしまっている(ことにしている)のは、この事件のあと数十万人もの共産党員、その支持者、あるいはそのどちらかに間違われたり捏ち上げられた人が、国軍ではなく、一般の人々(多くは共産党と対立していたイスラム政党支持者)に殺されていること、同様に多くの人間が政治犯として裁判も受けずに拘留、流刑に処され、解放後も種々の不利益を被ってきたことです。
これは非常にセンシティブな問題ではありますが、やはりこの問題を避けていてはインドネシアにおいて民主主義を真に語ることはできないと個人的には思っています。このようなことを外国人である僕に言われたくない、という反応は今まで幾度も経験してきましたが、国民がイデオロギー対立のために同胞を大規模に殺したことをどう引き受けていくのか、という僕の問いに対する答えにはなりえません。そして、その答えを出す、あるいは答えるために愚鈍な努力をしなければならないのは、彼ら自身なのです。
これは丁度、戦後の日本国民が日本のアジア侵略(そしてそのために多くの日本人が死んでいったこと)をどう引き受けていくのか、という問題と似た部分があります。どちらも触れられたくないセンシティブな問題で、様々な「真実」や「歴史」が語られ、かつ世代交代によりだんだんとその問題自体が過去のものとして薄らいできています。一方で決定的に異なるのは、日本のアジア侵略については、問題の風化に(時に行き過ぎもあると見受けられますが)強力に抗う勢力(旧被支配国)がある一方で、インドネシアの場合は、主に元政治犯と一部活動家から成る抵抗勢力は弱体に過ぎます。(主要な人物は殺されているし、組織自体が崩壊しているので仕方がありません。)これについて、指摘したこと以上に詳細な比較をすることに意味は少ないと思うので、ここで止めにします。ただ、新しい世代が「僕らはそんなの知らないし」という発言をする場合にどう答えられるのか、日本人としては日本のアジア侵略と戦死者の問題について、インドネシア研究者としては9月30日事件(東ティモール、アチェの問題も)を考えていこうと思う次第であります。