ドキュメンタリー映画『マージナル=ジャカルタ・パンク 2014年春版』
6月12日に、渋谷UPLINKで上映された「マージナル=ジャカルタ・パンク 2014年春版 Jakarta, Where PUNK Lives – MARJINAL」を観てきた。ドキュメンタリー映画の題材であるインドネシアのMarjinalというパンク・バンドは非常に興味深い。上映後に行なわれたミニライブで披露された彼らの音楽も(チューニングの狂いはさておき)楽しかったし、彼らの思いの溢れるメッセージ・ソングだった。スハルト政権末期に拉致・レイプ・殺害された女性労働活動家マルシナについての曲など、「あぁ、まだ忘れていない人がここにもいた。」と感慨深かった。僕はインドネシアを研究してはいるが、インドネシアの音楽シーンに詳しいわけではない。それに音楽は好きだが、とりわけてパンクに詳しいわけでもない。けれども、視聴後、妙な違和感に襲われたので、その違和感を自分で整理するために言語化(テキスト化)を試みよう。
まず映画自体について数点。第一に、カメラワークが酷い。構図が悪いとか、焦点がぼやけているとか、そういう問題ではなく、いくつかのシーンにあった、観客が映像酔いを起こすほどの画像のブレである。単純に、そして文字通り「気分が悪くなった」。もちろん、故意にそのようなネガティブな肉体的反応を引き起こす手法はありえるだろうし、それが意図されたものでなかったとしても、効果的であればアリだろう。しかし、これはそんなものではなかった。下手なだけとしか思えない。
第二に、日本語訳が酷い。詩的なというか、ブロークンなというか、正しく伝わらない可能性が高い日本語をサブタイトルに入れるという行為がパンクだ、などと主張するつもりがないのであれば、より正確で視聴者に伝わる日本語訳を付けるべきだろう。インドネシア語に自信がなければちゃんとインドネシア語が分かる人に助けを求めるべきだし、日本語に自信がなければ真っ当な日本語を書ける人に助力を願うべきだ。そもそも製作者である中西あゆみさんのインタビューで、Marjinalが多くのインドネシア人に届くようインドネシア語の歌詞にこだわっているという指摘をしているのだから、彼らのインドネシア語における表現を重視し、尊重して、視聴者に意味の通じる日本語にすべきだろう。
それでも、まぁ、それは瑣末なことである。僕の覚えた違和感は嘔吐感ではないし、言語への鈍感さに対する怒りでもない。Marjinalの音楽と(社会)活動、「思想」と、パンクという言葉の間に、大きな齟齬を感じたのである。
Marjinalの音楽は、僕の偏見かもしれないけれども、Punk Musicとはちょっと違う、というかメッセージ性が高く、そのメッセージは反体制であるというのは Clash なんかを思い起こさせるのだけれども、音楽が妙にポップでキャッチー、あとはブレイクの入れかたなんかが上手過ぎだった。曲作りが上手いのは良い、問題ない。パンク・ロックはもっとズルズルしているべきだとか、ただ疾走すれば良いのに、とは言わない。ただ、メッセージは反体制なんだけど、曲というか彼らの歌の背後には妙な明るさ、というか前向きさを、どうしても感じてしまった。例えて言うならば、イタリアン・バロックのもの悲しい短調曲に、抜き難いイタリアンな能天気さを聞き取ってしまうようなものか(アルビノーニのアダージョとか)。
その妙な前向きさは、ようやく辿りついた言葉なのだが、ニヒリズムの欠如であろう。(没落地主の末裔でナロードニキを自認する僕としてはニヒリズムには敏感なのだ。これは冗談。)そして、この欠如は彼らの「反体制」についての考えや活動に反映している。
Marjinalのメンバーは、ストリート・チルドレンを一時的に保護して音楽を教えたり、近所の池の掃除をしたり、災害被災者のために被災地に援助物資を運んだり、支援ライブを行なったりする。敬意を払うべき行動であるし、時の体制が見捨てた人々を支援することは「反体制」でもありえるが、どうも「パンク」という言葉には似わないと感じてしまったのだった。パンクというのは、良くも悪しくも、もっと無責任に反体制で反社会で破壊的であるイメージが僕のなかにあり、その「ガキ臭い絶望感」が魅力の一つであると考えていたのだが、彼らは絶望はしていないし、妙に建設的な考え方、行動をする。ある意味、オトナなのだ。髪の毛をモヒカンにしたり、入れ墨を入れたりしているけども、親のいない子供を慈しみ、ゴミ問題を考える。社会的には良い意味で、ニヒルではないのだ。
もっともこれは、僕が持っているパンクのイメージが、あまりに狭かったり、固定されているからであるという可能性は否定できない。パンクという言葉の意味するところが、実際には音楽、芸術、ファッションなどを含めて、ずっと広いということは頭では分かってはいる。けれども、自分がパンクの核であり魅力の源泉であると考えるものを彼らは欠いている、いや欠如という言葉の響きが悪ければ、「克服」している。「パンクの核心」を「克服」したあとに出現したものを、「パンク」と呼ぶことに違和感があったのだ。〔余談だが、これを機にパンクというものを再度(主に音楽の点から)おさらいしなければならないと感じた次第である。〕
さて、上映後にはインタビューやQ&Aもあった。そこでこのドキュメンタリーを製作した中西あゆみさん、そしてMarjinalのMikeとBobの話もすこし聞けた。そのなかで、中西さんの話にも違和感を覚えた。彼女のMarjinalについての説明では、どうしても「反体制」がキーワードとして出てくる。そして、彼女はどうしても、その「体制」を98年に崩壊した「スハルト体制」につなげてしまう。Marjinalの結成は96年なので、スハルト体制に反対していたことは確かであるが、その後すでに16年経過している。観客がインドネシアについてあまり知らないということを差し引いても、それを何の説明もなしにスハルト体制に結びつけるのは乱暴だ。この16年、彼らは何に反対・抵抗しているのか。
フロアからの質問で、現在インドネシア経済が好調であるが、かえって貧富の差が開いているのではないか、それについてどう考えているか、という、この点についての核心的質問が出た。すなわち、スハルト体制期における反体制はある意味単純であった。反政府、反スハルトであれば良かった。ところが、Marjinalの二人が出会ったデモが全国的に発展しスハルト体制が崩壊したあとの、現在の体制では、物事が複雑になった。政府は曲がり形にも自由な選挙で選ばれているし、言論抑圧も「法的」にはなくなった。しかし現実には抑圧は存在しているし、スハルト体制下におけるそれよりも遥かに巧妙になっている。「敵」は確かにそこにいる・あるのに、以前よりももっと曖昧で漠然としている。そのような中で彼らは何に対して戦っているのか、どのように戦おうとしているのか、ほとんど見えてこなかった。
最後に、やっぱり音楽自体が気になっていて、Q&Aで質問したかったのだけれど当ててもらえなかったので聞けなかったのが、彼らの音楽上のバックグラウンドだ。彼らがどんな音楽を聞いて、彼らの独特な「パンク」ミュージックを作りあげてきたのか、また機会があったら尋ねてみたい。