長男が自分の音楽プレーヤーが欲しいと言い出した。しかも、何故かは分からないが、Walkman Fシリーズ指定。音楽を聴くのは悪いことではないので買ってあげたが、幾つか問題が予想されていた。 一つは根本的な問題で、僕はCDを基本的にoggでエンコードしている。これはwalkmanでは聴けないので、エンコードの仕直しをしないといけない。これは地道にぼちぼちやるしかない。もう一つは、アルバムアートをmp3ファイルに埋め込まないと、Walkmanでは見れない。最後に、うちのPCのOSはLinuxなのでデータはDrag&Dropで行なわないといけないが、うまく行くかどうか分からない。(ここらへんは、完全にソニーを信用してない自分が垣間見れる。) 結局、Drag&Dropでの転送は問題ない。ま、Fシリーズはandroidなので、そりゃ、そうだ。 アルバムアートは、eyeD3を使って、eyeD3 –add-image=cover.jpg:FRONT_COVER *.mp3 とやった。 問題は、タグが正しく読みこまれない。でググったら、タグのバージョンが、最新の2.4ではだめで、2.3にすると良いらしい。これも、eyeD3 –to-v2.3 *.mp3 で終わり。 これで息子も音楽生活をエンジョイできるだろう。
Read MoreFaceBookにも書き込んだが、ウマル・カヤムの『パラ・プリヤイ』が翻訳され、一足先に送って頂いた。 ウマル・カヤム著(後藤乾一、姫本由美子、工藤尚子訳)『サストロダルソノ家の人々〜ジャワ人家族三代の物語』段々社、2013年。[ISBN: 978-4-434-17216-8] 原書は、Umar Kayam. Para priyayi: Sebuah novel, Pustaka Utama Grafiti, 1992. [ISBN: 9794441864] であるが、これが翻訳されるとは嬉しい驚きである。舞台となるジャワの世界と、ウマル・カヤムの用いる言語の故である。オランダ植民地時代に貴族ではない平民から「政府(下級)官吏=プリヤイ (priyayi)」になったサストロダルソノ一家の、独立後1960年代にいたる年代記であるが、ジャワの封建的な社会を前提とした小説を、日本語読者の理解できるように言葉を移すことは困難を極めたであろう。そして、その世界を描く言語は、敬語体系が複雑(怪奇)で、敬語レベルによって語彙までが変化してしまうジャワ語そのものが会話をはじめ至るところで用いられるのみならず、ウマル・カヤムの言語自体が「インドネシア語の皮をかぶったジャワ語」とでも言うべきもので、それが彼一流の味なのではあるけれども、これまた翻訳は想像もできないくらい茨の道であったろう。 こうした問題を問題を訳者たちがどのように乗り越えたか、あるいは回避したかも興味深いのだが、何よりもこの小説自体のもつ世界を是非日本の読者にも楽しんでいただきたい。ジャワやインドネシアについて良く知らない読者にも十分楽しんでいただける。(だって、マルケスの『百年の孤独』の読者がどれだけコロンビアについて知っているというのだろう?)
Read Moreマフユディン・ガウス著(後藤乾一編訳)『M.ガウス回想録—戦前期インドネシア留学生の日本体験—』(研究シリーズ No.3)、早稲田大学、アジア太平洋センター、2012年10月。[ISSN: 2185-1301] 著者の Mahjudin Gaus氏は、1933〜39年、当時オランダの植民地だった現在のインドネシアから日本へ留学した第一世代に属し、東京慈恵会医科大学にて正規学位を取得した。時代は違うが、ベトナムなどは東遊運動でそれなりの数の留学生が日本にいたが、戦前にオランダ領東インドから留学した人は限られている。まずその意味で極めて興味深い。 第二に、この回想録はインドネシア語なり英語なりで出版されたものの翻訳ではない。著者が生前に編訳者にタイプ打ちの英文原稿を託したものを翻訳したものであり、この回想録を読めるのは、実質日本語を理解できる者だけである。(日本語を解する)日本人として、これは実にラッキーなことだ。
Read Moreようやく Nexus 7 にも慣れてきた。外部記憶装置が使えないのは欠点だが、音楽や映像を詰め込むわけでもないし、198でこれなら文句はない。 で、今日、RefMaster というアプリがあることを知った。これで、PC上のJabRefで管理している書籍・文書データベースを外でオフラインでも参照できる。つまり、持っている本を再び買ってしまうことがなくなる!
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