週末なので、アンバルクモ・プラザに行ったら、帰りのタクシー捕まえるのにひどく苦労した。 Taufik Abdullah, Sukri Abdurrachman dan Restu Gunawan (eds.). Malam Bencana 1965 dalam Beliran Krisis Nasional, Bagian 3 Berakhir dan Bermula. Jakarta: Obor, 2013. [ISBN: 9780979-461-864-6] 2012年に1・2巻がまとめて出版されて、それで終わりだと思っていたら、第3巻が出てた。 Ahmad Tohari. Mata yang Enak Dipandang. Jakarta: Gramedia, 2013. [ISBN: 978-602-03-0045-0] アフマド・トハリが1983年から1997年までにKompasやKartiniなどに発表した短編のアンソロジー。でも初出情報がないものものあるんだが、書下しということもなかろうから、初出がどこだか分かんないのだろうな。 A. Muttaqin, Agus Noor dkk. Cerpen Pilihan KOMPAS 2013: Klub Solidaritas Suami Hilang. Jakarta: Kompas, 2014. [ISBN: 978-979-709-838-4] 恒例の『コンパス』紙掲載の短編集。Gerson Poykなんて懐しい(失礼だな)な名前や、Putu Wijayaの名前も見える。Seno Gumira の “Aku, Pembunuh Munir”というのはタイトルだけで刺激的だが、「俺は薄汚い犬だ、だからムニルを殺した。」なんて台詞で始まる。楽しみ。 Eka Kurniawan. Corat-Coret di Toilet. Jakarta: Gramedia, 2014. [ISBN: 978-602-03-0386-4] 昨日も紹介したエカ・クルニアワンの『便所の落書き』というタイトルの短編集。なんでそんなタイトル?と思ったら、同タイトルの短編の最後にこんな下りがあった。 最初の落書きはこうだった。「僕は議会のおっさんたちを信じない、むしろ便所の落書きのほうを信じる。」 次の落書きはこうだ。「僕も。」 そして残りの百もの落書きもまた、「僕も。」と書いていた。 レフォルマシ以降の議会批判でした。痛烈と言えば痛烈かな。B.アンダーソンが「俺、これ翻訳するぜ」って推薦文書いてはる。
Read Moreそんなこんなでジョグジャに来ているものの、こんなに気乗りしないで来たのは初めてだ。それでも本屋には行く。 Budi Sardjono. Nyai Gowok. Jogjakarta: DIVA press, 2014. [ISBN: 978-602-255-601-5] アフマド・トハリの『パルック村の踊り子(Ronggeng Dukuh Paruk)』にgowokについての下りがあったことを思い出して購入。Gowokってなにさ、という人はトハリの小説を読んでください。ちなみに、 “novel kamasutra dari jawa”というコピーがつけられていることから想像しても良いです。 Eka Kurniawan. Seperti Dendam, Rindu Harus Dibayar Tuntas. Jakarta: Gramedia, 2014. [ISB: 978-602-03-0393-2] インドネシアの若手(と言ってもアラフォー)作家で一番面白いと思っている人。2002年の Cantik itu Luka は『美は傷」として邦訳されているので是非皆様に読んでもらいたい。 Norman Erikson Pasaribu. Hanya Kamu yang Tahu Berapa Lama Lagi Aku Harus Menunggu. Jakarta: Gramedia, 2014. [978-602-03-0448-9] 知らない人なんだけど、Kompas紙に掲載された短編が評価されているようなので購入してみた。1990年生まれ! Mohamad Bondan. Memoar Seorang Eks-Digulis: Totalitas Sebuah Perjuangan. Jakarta: Kompas, 2011. [ISBN: 978-979-709-598-7] これは何か安くなっていたので。
Read More訳者のお二方より、現代インドネシアを代表する作家セノ・グミラ・アジダルマの短編集をいただいた。 セノ・グミラ・アジダルマ(柏村彰夫・森山幹弘訳)『セノ・グミラ・アジダルマ短編集』めこん、2014年。[ISBN: 978-4-8396-0281-9] セノ・グミラは、かれこれ20年ほど前に、大学のインドネシア語の授業で触れてから、好きな作家の一人だ。これまでの日本語訳には、『群像』(1997 年11月)に短編が三編(「耳」、「ニンギ市のミステリー」、「証人」)、国際交流基金「開高健記念アジア作家講演シリーズ」第8回(1999)の資料中に、前記の三編に加えて五編がある。後者のうち、「川をゆく歌」、「浴室ノ歌唱ヲ禁ズ」、「ジュ・テーム」、「クララ—レイプされた女性の物語」は、本書に含まれている。(含まれなかったのは、「ハンバーガー、その一、ハンバーガー、その二」。)これらの翻訳は、現在となっては気軽に入手できるわけではなく、こうしてまとまった形でセノの小説を日本語で読めることは、日本人としては幸福なことである。(日本の変態的翻訳文化には感謝してもしきれない。勿論、良い意味での変態であり、自分もそこに加わりたいとは思っている。) 頂いたばかりでまだ読んでいないのだが、時にトリッキーなわざを使うセノの文章を訳者がどのように訳したのか、楽しみである。
Read Moreその軽快なフットワーク、軽妙な語り口、筆の速さで尊敬している本名純氏の『民主化のパラドックス』をようやく読了した。 正直、もっと早く読むべきだった。本書に書かれている事柄のいくつかは、既に本名さん本人から、あるいは他の情報源から知っているものではあったが、それらが実に明快に提示されている。そして、とりわけインドネシアにおけるレフォルマシ(改革)以降の政治が、見事に自分の研究で描こうとしているものとリンクしている。 地域研究をやっている人間としては、次の言葉に早く自分で応えなければならないだろう。「その国の政治の日常に疎い理論家や実務家の視野にはおのずと限界がある。特に民主化の予期せぬインパクトは、彼らの目から一番遠いところで起きている。その重要性を発信できるのは、地域に密着して調査を進めてきた地域研究者であり、今以上に彼らの役割が期待されているときはない。」(18頁) インドネシアをフィールドとしている人だけではなく、政治学や開発学を専門とする人たち、あるいは民主化に興味がある人は是非読むべき一冊である。
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