現在メインで使っている Gentoo Linux on MSI S271で、ここ数週間無線LANが間欠的に死ぬ(パケットが通らなくなる)減少に悩まされていた。現在のkernel は、tuxonice-sources-2.6.24-r7 で、ドライバはカーネルソースにマージされた rt2x00。ググってみたところ、mtuが怪しいそうなので、1500を1400に抑えたら安定した。/etc/conf.d/net に、mtu_wlan0=1400を加えておしまい。 チラシの裏に書くと、カミさんにそのチラシを捨てられるので、こちらにメモ。
Read MoreNh. Dini. Jalan Bandungan. Jakarta: Penerbit Djambatan, 1989. [ISBN: 979-428-132-8] ジャカルタで探して見付からず、国立図書館でコピーするしかないかと思っていたら、アジア文庫に在庫があったぁ!早速、確保。
Read Moreふと、こんな記事に出会った。「自分の手で辞書をめくり、調べなければ身に付かない。調べること自体に意味がある」(長野高)というコメントはやや頓珍漢だと思った。単語なんてどれだけの量触れているかだ。だからひたすら書くとかしたし。書かなくても死ぬほど目にして(読んで)いれば覚えるでしょう。(高校生にそれを求めるのはどうかと思うけど。)「辞書を引くときには、1つの言葉を調べながら他の言葉も自然に目にすることができ、学習に役立つ」(松本深志高)は、僕の感覚にやや近いか。要するに辞書というのは「引く」ものである以外に「読む」ものでもあるのだnな。周辺の単語を見るということもあるが、それ以上に、その語なり句の意味を一通り読まないと、その単語の意味はつかめなかろう。(もちろん、それだけでも無理という話は措いておいて。) 辞書に限らず、電子化された文章は読みにくい。だから、中高生なんて絶対読まない。電子辞書の「次ページ」ボタンなんてまず押さない。(塾講やってた経験からそうなのだ。)てか紙の辞書でも読まないからなぁ。紙の辞書でも「1」の意味しか見ない学生なんてざらにいるしなぁ。外国語と日本語の意味が一対一対応みたいな。そうなるともうどっちでも良いということになるんだよな。 ということで、全国の中学校(ん、最近は小学校でも英語やるのか)の先生はソシュールを噛みしめながら読まなければならんのだな。有り得ないことだが。
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