外房ではとうに桜は散り果て、これからゴールデンウィークに向けて田植えの季節だ。ゴールデンウィークの終りには田圃が薄緑にそまる。そんな季節に、つい Konica Revio KD510Z なんて手に入れてみた。 あいにくの曇天だったけれども、曇天な感じが出ている。
Read Moreそんな訳で、データベースを作っている。50箱強あるうちの21箱を終えた。使っているソフトは、Books for MacOS X。とりあえずフリーウェアで。雑誌には対応していないので、ちょっと考えないといけない。兎も角、本を先に入力するのだ。これまでに入力してあったもの、ブログに書いたものは、とりあえずBibTeXデータにして流し込んだ。あとは、一箱一箱ひっくり返しては、中身をチェックし、データがなければ登録する。 ISBNのあるものについては、ネット上(amazonとか)にデータがあれば、自動的に入力が済む。更にバーコードがあれば、これでそれを読む。楽チンなようだが、そうは問屋が卸さないのである。まず、ISBN以前の本が結構ある。日本語のものもインドネシア語のものも。バーコードがないものも結構ある。奮発して買った(IYHとも言う)バーコード・リーダーもイマイチ活躍しきれないでいる。(子供は喜んでいるけど。)
Read More語ったのは僕ではない。しかも今日の出来事でもない。先週の土曜日に新宿のジュンク堂書店で行なわれたトークセッション。語るのは、翻訳者である押川典昭氏、そして小説家であり仏領カライブを中心としたフランス語圏クレオール文学研究者の小野正嗣氏。 文学研究者としての小野氏が、彼のフィールドとする旧フランス植民地における言語状況と旧オランダ領であるインドネシアにおける言語状況(後者はもちろんプラムの作品における状況と、プラム自身の置かれた状況)を比較し、インドネシアばかり見ている僕にとっては新鮮であった。また、ブル島四部作におけるポリフォニーの成り立ちを訳者から改めて聞けたのは収穫か。ただ、やや言語の問題を引っ張りすぎたような気がするなぁ。インドネシアにおいて文学が担ってきた(担っている、担うべき、担えずにいる)役割なんかについて、他地域との比較でもっと議論できればなぁ、とも思う。個人的にも課題。
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